津波から生き延びるにはどうしたら良いの?
何か普段から気をつけておいたことはある?
津波に対してはとにかく早く、高いところへ逃げることが肝心ですが、それ以外にも知っておいてほしいことがあるので、ぜひこの記事を読んで津波から生き延びてください。
はじめに
四方を海に囲まれた日本に暮らす私たちにとって、津波は決して遠い存在ではありません。地震の揺れを感じてから、わずか数分で押し寄せることもあり、その破壊力は町を一瞬でのみ込みます。東日本大震災では、2万人以上の尊い命が津波によって失われました。
けれども同じ状況の中で、岩手県釜石市の子どもたちは自らの判断と行動によって生き延びました。この出来事はしばしば「釜石の奇跡」と呼ばれますが、決して奇跡ではなく、日頃の教育と訓練の成果でした。
この記事では、釜石市で行われた防災教育と「津波避難の三原則」を中心に、津波から命を守るために私たちが学ぶべきことを整理します。
津波避難の基本ルール
津波はただの「水」ではありません。瓦礫や材木、車両など重量物が一緒に流されてくるため、巻き込まれるとこれら重量物と衝突して命を失うのです。だからより早く、より高く避難することがとても重要です。そこでまず押さえておきたいのは、津波避難の基本ルールです。
- 揺れを感じたら、すぐ逃げる。警報を待たない。
- とにかく、より高い場所へ。高台、ビルの3階以上、可能ならさらに上へ。
- 周囲に「津波が来る!」「逃げろ!」と大声で避難を呼びかける。
- できれば徒歩で避難。車の使用はその場その場で判断を(渋滞で身動きが取れず避難が遅れることのないように)。
- できる範囲で高齢者や障がい者など自力避難ができない人々の避難を手助けする。ただし、自身の安全が第一。
- 津波は繰り返し来る。安全宣言が出るまで避難先を離れない。
これらを頭で理解したつもりでも、いざ本番となると中々行動に現れないものです。これをしっかりと身につけるためには、次を実行することが大事です:
- 日頃から津波ハザードマップを確認
- 避難経路の確認(できれば複数)
- 避難完了までの所要時間の確認
- 夜間も含めた避難訓練(地震で停電することもありえる)

津波避難の三原則
釜石市では2005年から、群馬大学の片田敏孝名誉教授(現東京大学大学院情報学環特任教授)の指導のもと、小中学生を対象に津波防災教育に取り組んできました。
その教育の中心にあったのが「津波避難の三原則」です。
自然災害と向き合う姿勢を育むことを目的として、この三原則を軸に子どもたちが身体で覚えるまで徹底的に訓練されました。
順に見ていきましょう。
想定にとらわれるな
ハザードマップの想定区域外でも津波は来るかもしれません。与えられた想定に安心せず、自ら状況を判断し、行動することが大事です。
その状況下で最善を尽くせ
命がかかった状況だということを前提に、常に最善を尽くすことが重要です。「この辺で大丈夫だろう」と妥協してしまったために津波に飲み込まれてしまったというのでは、あまりにも無念です。
率先避難者たれ
危険の前では人は迷いやすいもの。だからこそ自分が先に逃げる存在となることで、周囲の人も動き出し、結果として多くの命を救えるのです。
「釜石の奇跡」と呼ばれた行動
2011年3月11日、東日本大震災の揺れが釜石市を襲いました。地震の直後から、釜石東中学校の生徒たちは「津波が来るぞ、逃げろ!」と叫びながら校舎・校庭を駆け抜け、避難を開始しました。隣接する鵜住居小学校の児童たちは最初、校舎の3階に避難していましたが、普段から一緒に避難訓練をしていた中学生らが一斉に避難する様子を見て、小学校の児童らも校舎を駆け下り外へ出て中学生に続きました。
最初の避難先に到着した子どもたち。しかし周囲の状況を見て「ここでは危ない」と判断し、さらに高台へ移動。途中で保育園児の避難を手助けし、近隣住民もそれにつられて逃げました。結果的に子どもたちは全員助かり、周囲の大人たちの命も救うことにつながりました。
図:鵜住居地区の生徒・児童の避難経路

注2 地図データは、地理院地図(電子国土WEB)を加工して使用。
注3 地図は2025年のものを使用しているため、現在の学校や道路の位置は2011年当時とは異なります。
この出来事は「釜石の奇跡」と呼ばれました。しかし、生き残った当時の生徒ら自身は「奇跡ではない」と語っています。なぜなら、自分たちが助かった一方でその生徒らの家族を含む多くの人々が亡くなっている現実があるからです。彼らが生き延びたのは、奇跡ではなく「日頃の教育と訓練があったから」。その冷静な認識こそ、私たちが学ぶべき点です。
避難を妨げる要因
東日本大震災では「すぐに避難しなかった」人たちの行動が調査されました。その中には、
- 「家族を迎えに行った」
- 「自宅に戻った」
- 「過去の地震では津波が来なかったから大丈夫だと思った」
といった理由が挙げられています。
確かに、地震が発生したからといってもいつも必ず津波が襲ってくるとは限りません。大したことなく終わる場合の方が圧倒的に多いのが事実ですから、油断してしまう気持ちもよくわかります。
しかし、たった一回の油断が運命を分けてしまうということがこの震災で明らかになりました。過去の経験に頼らず、その場で最善を尽くすことが、いかに重要かがわかります。
ここで、ぜひ皆さんに共有しておきたい被災者の言葉を紹介します。

これは「津波記憶石」と呼ばれる石碑に刻まれた碑文です。この「津波記憶石」とは、津波の教訓を後世に永く伝えるため、一般社団法人「全国優良石材店の会」(全優石)が震災以来継続しているプロジェクトであり、同会は被災地の様々な場所にこうした「津波記憶石」を建立しています。
上に紹介した碑文は、その中でも釜石市唐丹町(とうにちょう)にある「津波記憶石3号」に刻まれた、地元の児童生徒ら約90名のメッセージの内の一つです。
避難が空振りに終わっても、「素振り」と思いましょう。
すぐに避難しない心理とは
「今回も大丈夫だ」と油断してしまう他にも、すぐに避難しない(できない)心理というものもあります。緊急事態が発生しても、誰も動かない中で最初に逃げることは実は結構勇気のいることなのです。
ちょっと思い出してみてください。これまで建物内で非常ベルが鳴ったのを聞いたことがありませんか?あなたはその時、避難しましたか?
んー…何度かあったけど、どうせ誰かのいたずらか誤作動かなって思って何もしなかったなあ。
だって周りの他の人たち、誰も動かなかったし。
まさにそれです。そういう状況で一人だけ逃げ出すってなかなかできませんよね。皆が平然としているという理由だけで根拠なく「大丈夫」って思ってしまう。
けれども誰かが先に「津波避難の三原則」で紹介した「率先避難者」として避難を始めればどうでしょう。それに倣うのが人間の習性です。もし多くの人が非常口に向かって走り出しても、あなたはじっとしていられますか?
だからその一人目になることが他の人の命を救うことにもなるかも知れないのです。
津波てんでんこと家族の信頼
三陸地方には「津波てんでんこ」という言葉があります。「津波のときはてんでんばらばらに逃げろ」という教えです。家族がお互いを探し合って避難が遅れれば、全員が犠牲になる可能性があります。だからこそ「まずは自分が逃げる」ことに専念しなくてはならないという教訓です。
一見冷酷に聞こえますが、実はそうではありません。
もし自分の家族が「率先避難者」として振る舞うことが分かっていれば、「あの子ならきっと逃げているはず」「お母さんならきっと大丈夫」と信じ合うことで自分の身を守ることに専念できるので、結果としてより多くの人々が生き延びることに繋がるのです。
ただし、このように信じ合うためには平素から津波だけではなく様々な災害時の対応について家族間でよく話し合っておき、認識を共有しておくことがとても重要です。
言い換えれば、「津波てんでんこ」はこうした家族間の信頼があって初めて成立するものと言えます。
更に深く学びたい方は、こちらがお勧めです:
→いわて震災津波アーカイブ 東日本大震災 釜石市教訓集「未来の命を守るために」
日頃からの備えが生死を分ける
津波から逃げるためには、その場の判断力だけでなく、事前の備えが大きな差を生みます。
- 自宅や職場、通学路から「どこへ逃げるか」をあらかじめ決めておく。
- 実際に歩いて避難ルートを確認し、所要時間を把握しておく。
- 家族で「揺れを感じたら各自で逃げる」といったルールを話し合っておく。
- 地域の津波避難訓練に参加し、身体で行動を覚えておく。
準備をしている人とそうでない人では、いざというときの行動に大きな差が出ます。
まとめ
津波は自然の力であり、防ぐことはできません。しかし、逃げれば助かる可能性が高い災害でもあります。
- 想定にとらわれず、
- その状況下で最善を尽くし、
- 自分が率先避難者になる。
釜石の子どもたちが示してくれたこの原則は、私たち誰にでも当てはまります。
津波の恐ろしさを過去の出来事として忘れるのではなく、日頃から「もしもの時にどう行動するか」を考えておくこと。それが、あなたと大切な人を守る最も確実な方法です。