避難と行動

「避難所はサービス施設じゃない」 税金=当然と思っていませんか?今こそ“自助”の大切さを考える

はじめに:「税金払ってるんだから当然」という誤解

災害が発生して避難所に入ったとき、
税金を払っているのだから、快適な避難生活が送れるはず
黙って待っていれば水も食事も提供されるんでしょ
――そう考えている人はいないでしょうか?

少数派とはいえ、行政や運営側に対してこのような過度なサービスや便宜を当然視し、協力や自助努力をしない被災者もいます。中には「払った税金分くらいは取り戻さないと」という考え方の人すらいます。

こうした姿勢は、避難所運営の負担増や他の被災者との不公平感の原因となるため、現場では大きな課題となってきました。

避難所は旅館・ホテルではなく、非常時の共同生活空間

多くの人は理解していると思いますが、避難所は旅館やホテルとは全く異なります
あくまで一時的に命を守るための最低限の空間ですから、空調、食事、寝具などの「快適さ」は期待できず、「屋根と壁がある安全な場所」くらいに思っておいた方が良いかも知れません。

実際、避難所の多くは体育館や公民館などで、いずれも宿泊目的で設計された場所ではないからです。
見知らぬ人々と一緒に床に雑魚寝、トイレは断水で使用不能、食べ物は運が良ければ飲料水とアルファ化米が配布されるでしょうが、お湯が提供されるかどうかは状況次第でしょう。
体育館は暑いか寒いかのどっちか、毛布がない、プライバシーがない、入浴もできない、水も出ない―そういうことがありえます。

「カスハラ化する避難者」が現場を混乱させる

災害時には、自治体職員やボランティア、民間支援者が避難所を開設し運営しますが、彼ら自身も被災者であることが少なくありません。

そんな中で、

  • 「毎日同じ食べ物ばかりで飽きた」
  • 「なぜ俺には布団がないんだ」
  • 「税金で運営してるんだから当然だろ」

といった要求を突きつける人が出てくることが、ほんの一部ですが稀にあります。

こうした“お客様意識”の避難者によるカスハラ的な行為は、支援活動を混乱させ、他の避難者にも悪影響を及ぼします。

避難所で実際にあった「困った避難者」の例

こうした困った避難者の例は、枚挙に暇がありません。

東日本大震災のケース

東日本大震災で避難所運営に携わった職員からは、次のような証言が寄せられています。(「東日本大震災津波における避難者支援活動記録集」より)

避難所では3食食事の提供があるが、自宅に戻ると自分で食事の準備をしなければならないので、帰るのを渋る人がいた。(市町村職員)

連絡せず外出する人がいて、食事の準備など管理に支障がでた。(同)

避難者から感謝されたりすることもあるが、中には怒鳴られたりすることもある。被災者でありながらも、職員として業務にあたっている。お互いに思いやりを持って接したいものである。(県立学校職員)

日中遊び歩き寝泊まりに避難所を利用する人もあり、他の利用者に示しがつかない(市町村職員)

熊本地震のケース

熊本地震の避難所運営においては、次のような問題が指摘されています。
(「熊本地震における避難所運営の教訓」より)

到着した支援物資を我先にと奪い合うように、箱ごと、パックごと大量に自宅に持ち帰っていた。また1日3回受け取りに来る住民も居た。その際「今日は収穫が無いね。」などと、全国から物資輸送支援に来た職員や自衛官の前でつぶやき、地区の評判を大きく落としていた。

避難者が、お客さんのような振る舞いで、行政職員に何でもかんでも要求し、不平不満ばかりを訴える避難者もいた。

阪神・淡路大震災のケース

神戸市の職員は次のような証言を残しています。
(「昭和堂 地方自治体と被災者」より)

避難所運営などで市町村職員は疲弊する。

もっとも忙しかった7月で残業時間が270時間。休みはなかった。昼食をとることができないので疲れやすい。同僚で十二指腸潰瘍になりかかった人がいる。部署には4人しかいない。(中略)肝心な事がわからないのでもめ事が起こると対応するのはその4人になる。仮設住宅の抽選に関して不満が多かった。「おまえのことを殺してやる」と何回も言われた。実際、殴られた職員もいる。(神戸市職員)

なぜ“自助”が大切なのか?

被災時、最初に自分の命を守れるのは自分しかいません。
避難所での支援は「本当に必要な人」に限られ、「自分で何とかできる人」は最初から支援対象に入っていないこともあります。

つまり――

「何とかしてもらう」人ではなく、「何とかできる」人になる準備が必要なのです。

元防災課職員としての視点:備えていた人とそうでない人の差

災害の現場では、「備えていた人」と「そうでない人」の差は明確です。

  • 備えのある人=冷静に行動し、自力で避難し、家族を守る。
  • 備えのない人=混乱し、パニックになり、他者に依存する。

行政の力には限界がある

地方自治体の職員も皆、それぞれに家庭があり、そして地域に根付いて生きている人達です。だからその地域で災害があれば、当然被災する職員もいるでしょう。あるいは家族が死傷したり安否不明という場合もあるかもしれません。

そんな職員でも、避難所運営を行わなくてはならないこともあります。それが地方公務員としての任務ですから。ところが避難所運営は、普段行っている現業と全く異なるだけではなく、リソースと情報が限定された中で、応用力と体力を要する大変な仕事です。

以下は、先ほども紹介した「東日本大震災津波における避難者支援活動記録集」より、その苦労が分かる自治体職員の証言の一部です:

業務を一日も早く平常に戻す準備と並行し、支援を行わなければならなかった。泊まり込みや訪問、避難所の健康相談等、スタッフ確保が大変。

避難者の数が多く、1日3回の食事を提供しなければならないため、炊出終了から次の炊出しまでの時間があまりなく、時間に追われた。

自助の重要性

災害が発生したら、全国から支援物資が自動的に届くのでしょう?
やっぱり手ぶらでも大丈夫じゃないの?

支援物資が届く場合もたしかにありますが、問題はそこではありません。問題はどうやって物資を末端まで行き渡らせるかです。

平成28年度熊本地震における避難所運営等」(熊本地震の発災直後に避難所運営等に当たった自治体の応援職員、NPO 団体等に対するアンケート調査結果より)から引用

各避難所で何が不足しているのか、何個不足しているのかといった把握が困難で、特に、被災から数日すると、救援物資が次々と運ばれて来て、どこに何があるか分からない状況になってしまった

名簿の作成を行った避難所においても、車中泊や自宅から支援物資だけを取りに来る方や、避難所内の避難者の出入りも激しく、名簿自体が機能しなくなり、管理することができなくなってしまった

災害時に整然と救援物資を全ての避難所に隈なくもれなく公平に配分するというのはとても困難なことなのです。何しろニーズが把握できないからです。それに地方公務員は物流や倉庫管理のプロではありません。

このことからも、避難所が行政の力でホテルのように整然と運営されることを期待することは、過度な依存と言わざるを得ないことがおわかりいただけるのではないでしょうか。

この状況で市役所の職員に八つ当たりしたところで何も改善しません。

だから、発災初期はまず第一に自助が重要なのです。

まとめ:自助があってこそ、公助も活きる

災害は、誰にでも起きます。
そして、行政にも限界があります。

避難所は「期待する場所」ではなく、「協力する場所」。
非常時ですからなおのこと、行政に依存するよりも一人ひとりが主体性を持って避難所運営に協力する姿勢が求められます。

普段から「自助」の取り組みがしっかりできている人が多いほど、公助も活きてくるのです。

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もげら47
自衛隊で大型輸送ヘリの機長として15年勤務。震災や林野火災など多数の災害派遣に出動。|その後、消防防災航空隊に転職し、消防防災ヘリの機長として10年以上にわたり山岳救助や空中消火活動に従事。|次いで2年間、地方自治体の防災課で防災関連の事務事業を推進するなど、防災一筋の人生。|現在はこうした経験を活かし、防災士ブロガーとして防災関連の情報を発信しています。|【保有資格】防災士・事業用操縦士(回転翼機+飛行機)・航空無線通信士・乙種第4類危険物取扱者・他| ■記事に登場する「わからんこ」や「ちびもげら」って誰? ■キャラクター紹介はこちら