富士山での遭難事例を機に再燃した「救助の有料化」議論。制度の是非や現場への影響を、防災ヘリ経験者の視点から冷静に解説します。
はじめに
2025年4月、富士山で中国人の大学生が遭難し、救助を要請したというニュースが注目を集めました。アイゼンの紛失や体調不良により下山できなくなったところをヘリで救助してもらったのに、その4日後には「携帯電話を取りに行く」という目的で再び入山、遭難したためまた救助されるという前代未聞の出来事。これにSNSやネットニュースでは、「自業自得」「税金の無駄遣い」「有料化は当然」といった厳しい声が溢れかえりました。
富士宮市長も「自己責任で費用負担すべきだ」と発言し、これを機に「ヘリ救助の有料化」論が一気に加速しました。

無謀な富士登山に地元市長が激怒…「救助費用は自己負担にすべき」 県民の意見は 静岡・富士宮市(LOOK 2025年5月12日 )
また、山梨県も有料化を検討し始め…
遭難救助 県防災ヘリコプターの有料化を検討 富士山で閉山中も遭難相次ぎ、地元から声 山梨県(Uワク UTY 2025/5/21)
その上、静岡県知事は有料化検討を指示しました
富士山などでの遭難者のヘリ救助 静岡知事が有料化検討を指示(毎日新聞 2025/5/22)
例の大学生は確かに軽率だったことは否めませんが、ちょっと待ってください。
世論は有料化を”制裁”とか”罰金”のように扱っているように見えることがとても気になります。
ここは冷静に制度設計を考える契機とすべきではないでしょうか。
当該大学生を弁護するわけではありません。そういう個別事象の是非ではなく、ヘリ救助の有料化による他への影響について、冷静に議論してはいかがでしょうか、といいたいのです。
私は防災ヘリの機長として10年以上現場で救助に携わり、さらに某自治体の防災課職員として各種事務事業にも関わってきました。そんな立場から、ヘリ救助にかかる有料化議論の背景と影響を掘り下げてみたいと思います。
救助の有料化は本当に必要か?現場から見た慎重論
この議論では、次のような論点が浮かび上がります。
- 世論に「制裁的な感情」が先行している
- 有料化は抑止策として効果に限界がある
- 山岳保険が普及すれば抑止力はさらに弱まる
- 救助をためらい、事態が悪化するリスク
- 「お金を払っているのだから完璧なサービスを」と誤解する利用者
- 現場にとっては負担が増すだけで、報われることがない
有料化は表面的な“解決”にはなるかもしれませんが、それによる複雑で深刻な影響にも目を向けることが必要です。
「自己責任」論に潜む危うさ
SNSなどで飛び交う「自己責任」「軽率な登山者が悪い」といった言説には、単なる合理性を超えた“集団的制裁欲”が感じられます。2010年7月に埼玉県で発生した防災ヘリ墜落事故後、登山ガイドが過剰に責められた一件を思い出します。防災ヘリの事故の責任まで彼らに押しつけようとする風潮は、もはや“魔女狩り”のようでした。
多くのコメントは、有料化の趣旨を(表面上は)「救助費用・手数料の負担」であり「遭難の抑止」に繋がるとしながらも、文脈からは「罰金の徴収」にしか見えないものが多いです。レジャーで遭難したら、罰金?
登山だけが危険なレジャーというわけではありません。釣り、スキー、バイク、サーフィン…いずれも事故のリスクを伴う「遊び」です。登山は他のレジャーに比べて救助に手間がかかるのは確かですが、そこまで「有料で当然」と切り捨てるべきものでしょうか?

救助有料化がもたらす副作用と現場への影響
有料化によって次のような「副作用」があることに留意が必要です。
一部の軽率な登山者のために真面目な大多数の登山者が損をする
「真面目と軽率の線引き」は非常に難しい問題です。閉山期に入山したら有料?軽装で準備不足なら有料?装備万全なら無料?…課金基準は現実的に困難です。必ず紛争の原因になるでしょう。
じゃあ例外なく全て有料にすれば?
いやそれでは真面目にやっていて偶発的に事故に遭うような人々が「割りを食う」ことになります。
誰だって遭難したくてしているわけではありません。偶発的に転倒したり滑落するケースが大多数です。
「保険で払えるから」と安易な救助要請
有料化に伴い、登山者が山岳保険に加入するようになれば、それ自体は良いことです。しかしその一方で、「どうせ保険が出るから」と考える人がいれば、有料化の目的は達成できていないことになります。
無保険者が要請をためらうことで状況が悪化する=救助が困難化する
逆に、保険に入っていない人が「費用が心配で要請できない」と救助要請を躊躇すれば、本来なら円滑に救助できたはずの遭難が、より深刻な事故や死亡に繋がる可能性もあります。そうなると救助活動自体が困難になります。防災ヘリは日没以降は活動しないことが原則ですから、要請が遅くなれば活動可能時間が少なくなって、救助する側にとっても、される側にとってもこれは大きな悪影響です。
救助現場の負担は増すばかり
さらに深刻なのが、現場への影響です。救助費用を徴収しても、そのお金が救助隊員の懐に入るわけではなく、手当や待遇が改善されるわけでもありません。むしろ「金を払っているのだから早く来い」「完璧な対応をしろ」といった“カスタマー意識”の対応に追われ、精神的にも実務的にも負担は増す一方です。
自治体にとっては費用請求(場合によっては支払い拒否者からの取り立て)の事務作業も増え、関係職員の業務量が膨らむだけで、得をする人がほとんどいない制度になる恐れがあります。

「無駄だったかどうか」は後にならないと分からない
救助の要否は、その瞬間には判断できないことがほとんどです。後から見れば「大ごとじゃなかった」と言えるかもしれませんが、実際には「万が一」に備えるのが救助の役割。救助の必要性を疑いすぎるあまり出動をためらって手遅れになるようなことは避けなくてはなりません。それこそ「行政の不作為」などと批判されることは必至でしょう。
だからこそ、救助機関は「安全側に倒す」判断を取らざるを得ないのです。
埼玉県の有料化事例をどう見るか
埼玉県では、先に述べた2010年7月の防災ヘリ事故をきっかけに、全国に先駆けてヘリによる救助を条例で有料化しました。同条例では、特定の6地域におけるヘリによる山岳救助の手数料額を飛行時間5分ごとに8,000円としています。飛行時間が1時間だと9万6千円です。
制度導入以降、救助件数は減少したとする報道もあります:
少なくとも6地域でのヘリの救助飛行件数は、条例施行前の4年間が41件だったのに対し、施行後4年間は24件と減りました。これは県内全域での同時期の山岳救助飛行が78件から68件に減ったことと比較しても減少幅は大きいです。お金を取るだけでなく危険地帯を知らせるチラシを配る事故防止キャンペーンも続けています。そうした全体の取り組みの結果でしょう(埼玉県消防課)
件数が減少したことは大変喜ばしいことですが、有料化との因果関係についてはもう少し長い目で観察した方がいいかも知れません。次のような観点もあります:
- 通報をためらっただけではないか?
- 登山者数自体が減少していないか?
- 軽微な遭難は増えていないか?
税金の無駄遣いという誤解
防災ヘリは年間予算と飛行時間の枠の中で運用されています。
緊急出動があったからといって、追加で大きな予算がその要救助者のために消えてしまうわけではありません。その分訓練の飛行時間を削るだけです。
訓練の時間を削って大丈夫なの?
訓練より本番の方がクルー全体として技量向上には圧倒的に役立ちます。これは私自身の体験から確実に言えることです。だから無駄にはなっていません。どのみち使うはずの予算ですから。予算を「消化」するという意味ではなく、年度予算時間の中でやりくりしている、ということです。
でも、軽率な登山者に腹が立ったりしないの?無駄な仕事創り出して、とか?
筆者は幸いにしてそういうケースに見舞われたことはありませんでした。
まあ、仮にそういうことがあったとしても、正直な気持ち、別に何も感じません。仕事に感情は持ち込まない信条でやってましたから。できないものはできない、やるときはやるだけであって、要救助者の属性で仕事への向き合い方は変わりません。そういう意味でも「税金の無駄遣い」という感覚はありません。
まとめ:制度設計には冷静な議論と助け合いの精神を
「軽率な登山者に税金を使うな」という声は(感情的には)理解できます。しかし、それを理由に制度全体を“制裁的”に転換させてしまうことには慎重であるべきです。
誰かを懲らしめるためではなく、「どうしたら遭難自体を減らせるか」「救える命をどう守るか」という基本に立ち戻って考えませんか。
救助に行く者の心は、いつも「助けを待っている人がいるかどうか」にあります。
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