どうも!もげら47です!
自衛隊で15年、防災航空隊で10年、自治体の防災課で2年、と防災一筋でやってきた防災士です。
あなたは「72時間」という数字に、何を感じますか?
「72時間の壁」という言葉を聞いたことがありますか?
報道ではしばしば、“迫る72時間の壁”などと生死の境目という位置づけで語られることが多く、何となく「3日が命のリミットなんだな」と思っている人もいるかもしれません。
でも、その数字がどうして使われるようになったのか、その意味を正しく理解している人は少ないのではないでしょうか。
実際、72時間というのはひとつの「目安」に過ぎません。そしてその背景には、実は被災した人の身体的な限界と同時に、救助する側の“活動の限界”という現実も隠れています。
この記事では、「72時間の壁」とは何なのか。そしてその言葉の裏にある“線引き”とは何なのかを、現場で救助活動に関わってきた立場から、静かに解き明かしていきます。
「生存率が下がる」とは、どういうことなのか?
72時間を境に「生存率が急激に低下する」というのは1995年1月の阪神・淡路大震災以降、言及されるようになりました。
下のグラフは、阪神・淡路大震災における救出者に占める生存率の変化を表したものです。

その背景には、身体が持ちこたえられる時間的限界があるとされます。たとえば瓦礫に閉じ込められた場合、時間の経過とともに体温の低下、脱水症状、クラッシュ症候群(圧迫による臓器不全)などが進行することがその主な理由です。
当然ですが生存率は負傷程度と遭難者/被災者が置かれた環境に大きく依存します。
つまり、72時間というのは「絶対的な死のリミット」ではなく、統計的に見て“生存の可能性が大きく下がり始めるライン”として捉えられているものです。
しかし実はここで、もう一つの現実を見つめる必要があります。
救助機関が「見切り」を付けなければならないのはなぜ?現場の知られざる事実
それは、端的に言えば「リソースの再配分」。
どういうことか。
災害は、大小を問わず遭難者や被災者に対して限られた人員・装備・時間で対応しなければなりません。
特に、消防・警察や私が所属していた消防防災航空隊は、いつ、別の出動要請があるか分かりません。一つの事案が解決するまでその後で要請される事案は全て無視という訳には行かないのです。そのため、どこかで“優先順位”を付け、リソースを再配分する判断が必要になります。
このことをご理解いただくために、少し長くなりますが私の経験をお話します。
行方不明通報と出動
それはある真冬の日、すでに日が傾き始めたときのことです。
「単独で山歩きに行った夫が帰宅予定時間になっても帰ってこない、連絡も取れない」
と遭難者からの奥さんから119番に通報があり、当該管轄消防本部から捜索要請がありました。
しかしその時点ですでに日没まで1時間を切っており、しかも遭難者の足取りに関するヒントが少ない中、出場準備や現場までの進出時間を考慮し、やむを得ず翌朝日の出からの出発としました。ヒントも乏しいまま闇雲に飛び回っても意味がありません。

なお、その翌朝明け方の最低気温は-3℃。遭難者にとってはとても厳しい環境です。
捜索初動と投入状況
そしてあくる朝、「どうか生きて見つかってくれ」との思いの中、日の出とともに捜索を開始。消防署と地元消防団、駐在所の警察官も総出です。

そして遭難翌日と翌々日のまる二日、冬場特有の乱気流に揉まれつつ山肌にへばりつくように隈なく捜索したが成果なし。指定された捜索範囲の内、ヘリで見える部分は全部見尽くしたのでした。
リソースの限界と撤退判断
実はこの事案に対応している2日間の間に、我が航空隊には他に2件の出場要請があったのです。
しかし隊としてはこの事案に対応中のため、それら2件は他県に応援を求めました。しかしたまたまいずれの事案とも地上隊によって終結したため、出場には至らなかったのですが。
こうしたこともあり、2日目の捜索が終了した時点における地元消防本部との協議の結果、航空隊は一旦撤収し、その後は地上隊だけで細々と捜索を継続することになりました。私たちとしては後ろ髪を引かれる思いで現場を後にし、その後は他の事案への待機、あるいは訓練という日常に戻ったのでした。
5日目の奇跡
ところが最初の家族通報から5日目、消防本部から
「山中にて要救助者を発見!ただし衰弱著しく、かつ徒手搬送困難のためヘリによる救助求む」
と改めて要請があったのです。ちなみに発見されたのは私たちが重点的に捜索していた範囲から何kmも離れた場所でした。
急いで現場へ直行、無事に遭難者を救助したのですが、その時は
「よく生きていてくれた!」
という気持ちと
「途中で投げ出してすみません」
という気持ちがせめぎ合いました。
72時間で「見切る」ことの意味とは?
あのとき、我々は結果的に彼を救助することは出来たのですが、もしかしたら本当に文字通り見捨てたことになったのかもしれない。その事実は、今でも心に残っています。

しかし。
その一方で、救助に振り向けられるリソースには自ずと制約があるのも冷厳な現実です。他に待っている人がいる中で、(一応)生存率が急激に低下すると言われている”時限”を超えて同一の事案に対し無限にリソースを投入し続ければ、同じように救助を待っている他の人が助からないかも知れない。
救助機関はどちらかを選ばないといけません。
こうしたことから、救助機関としては「72時間の壁」の”合理性”を頭から信じ込んでいるわけではなく、むしろ次の要救助者を助けるための「一つの区切り」として使わざるを得ない場合があるという現実があることを知っていただければと思います。
誤解していただきたくないのですが、72時間経ったら自動的・機械的に捜索を打ち切るわけではありません。実際は様々な状況を総合的に検討するので、もっと長期間捜索を継続することもあります。
72時間を超えて生き延びた人たち
私の経験を引き合いに出すまでもなく、72時間を超えて生き延びた人は数多くいます。
たとえば、2023年にオーストラリア・コジオスコ国立公園で行方不明になった23歳のハイカーは、13日後に捜索隊によって発見されました。ミューズリーバーとベリー、水などで命をつなぎ、救助隊の350人以上が関わった捜索活動の中で無事生還したのです。
▶️行方不明のハイカー、13日後に無事見つかる 豪国立公園
また、大西洋でヨットが難破し救命ボートでたった一人で漂流しながら76日間を生き延びて生還した例もあります。

著作権は著者および出版社に帰属します。
このように、「72時間」は決して絶対的な限界ではありません。
じゃあ救助される立場としてはどうしたら良いのか?
私が強く伝えたいのは、たった一つです。
どうか、自分の命は自分で守っていただきたいのです。
命を守る責任は、まず自分自身が担うもの。
なぜなら救助する側にも様々な限界があるからです。
私たちは、すべての命に同じだけの時間をかけられるわけではありません。
状況によっては、不本意ながら捜索を諦めざるを得ないこともある。
そうした中で「72時間の壁」はその区切りに使われる「場合も」あるというだけに過ぎません。
それでも私は願っています。
どうか、生き延びていてください。
あなたの力で、“その壁”を越えてください。
そうすれば、再び動き出す“理由”が、そこに生まれるのですから。
あわせて読みたい:
▶️元防災ヘリ機長が全てお答え!防災ヘリによる山岳救助の疑問と回答!